西暦 | 和 暦 | 日 本 史 | 大衡八幡神社史 | 備 考 | ||||||
210
270 310
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応神天皇元年
応神41年
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応神天皇誕生1月5日
応神天皇即位 (第15代)(日本書紀の名 誉田別命) 応神天皇帰幽 応神天皇が八幡神の称号となる |
天皇家系図 |
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781 | 天応1 | 誉田別命護国霊験
神通大菩薩の尊号 |
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783 | 延暦2 | 神託により八幡大神の法号
自在王の号加わる |
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804 | 延暦23 | 最澄・空海、渡唐安全を宇佐神宮に祈る | ||||||||
1110
~ 1113 |
天永年中 | 八幡神、本地を弥陀に改める | ||||||||
1577 | 天正5 | 大衡城(別称 塩浪館 姫路館)城主の大衡治部大輔宗が本丸内に八幡神社を創建する | ||||||||
1579 | 天正7 | 塩浪館(大衡城)家老瀬戸和泉氏が大衡村金谷に金谷神明社を鎮座する | ||||||||
1581 | 天正 9 |
大衡紫庵氏大衡字楳田に移住し、寺を開(12月8日) 曹洞宗仙台輪王寺六世が伊達藩内を転々として布教していた |
大衡城落城後、鎮座した八幡神社を松本屋敷に移す。その後、湧き水がでる現在の八幡神社に移設。神社の跡地に昌源寺を建立する。(櫻木家先祖三明院昌元の知恵が語り伝わる)
※昌源寺の現住職は、三明院昌元僧侶の弟子の三明院元詠が明治2年に大衡八幡神社の神主に転じた時、昌源寺の後継者譲る(昌源寺住職の家系図を檀家の役員が改ざんした事を記する) ※三明院昌元住職のお墓は大衡村松本の櫻木家の墓地にある |
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1585 | 天正13 | 伊達家祈祷僧に良覚院快真(戸田家の祖)が就任する | ||||||||
1590 | 天正18 | 豊臣秀吉 天下統一
伊達藩により黒川所領の大衡城(塩浪館)が落城する |
塩浪館落城後、八幡神を現在の昌源寺敷地内に一時移設する | |||||||
1603 | 慶長 8 | 徳川幕府が開かれる | ||||||||
1618 | 元和 4 | 鶴巣の八幡神社を黒川総鎮守吉岡八幡神社とする | ||||||||
1631 | 寛永8 | 京都聖護院本山流(天台宗)良覚院快真の嫡子有真(19才)が戸田定隆と改め、大衡村竹之内に着任する
導師三明院昌元(櫻木家先祖)も大衡字松本に屋敷を移す |
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1639 | 寛永16 | 戸田長五郎定隆が導師三明院昌元(昌源)に命じ、災害で荒廃した大衡村楳田地の寺を大衡村大衡字松本地に移築し、昌源寺と命名し曹洞宗の寺として開山する
曹洞宗として開山した理由は八幡神社の祭神である應仁天皇=八幡大菩薩が曹洞宗本山に埋葬されているからとの伝えある |
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1662 |
寛文2 |
伊達藩修験良性院僧都 三明院昌元(昌源)が京都聖護院より免許状授かる(社家で貯蔵) | ||||||||
1672 | 寛文12 | 大衡村が大瓜村・吉田村・加美郡と境で争う。 | ||||||||
1674 | 延宝2 | 旧大瓜村(大瓜字八幡)に大瓜八幡神社が勧請される (10月) | ||||||||
1677 | 延宝5 | 大瓜村と色麻村の百姓が塚で争う | 早坂与平次が大瓜八幡社に鐘寄進する。(別当 早坂久兵衛) | |||||||
1683 | 天和3 | 導師三明院昌元(昌源)が前年の江戸火災祈祷のため庚申供養塔を建立する(8/21)
■神社境内地に村内最古の庚申塔がある。「庚申侍供養敬白」「導師 三明院」との刻しある |
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1688 | 元禄1 | 戸田長五郎勘太郎・女3人が厨子・弓・刀・太鼓を八幡神社に寄進する(神社貯蔵) | ||||||||
1690 | 元禄3 | 三明院昌元等が庚申供養塔を建立する | ||||||||
1697 | 元禄10 | 戸田長五郎定隆・同勘太郎が供料として祭田350文を寄進する(松本の墓地の隣にある)戸田長五郎定隆・同勘太郎が神璽三神(天照皇大神・白山権現・妙見菩薩)を奉安する | ||||||||
1700 | 元禄13 | 導師三明院正圓等が元禄11年江戸大火災祈祷のため庚申供養塔を建立する | ||||||||
1710 | 宝永7 | 伊達藩修験良性院僧都 三明院昌元が京都聖護院より権大僧都の免許状・桃地結袈裟の免許状・院号の免許状を授かる(社家貯蔵) (7/25) | ||||||||
1712 | 正徳2 | 伊達藩修験良性院僧都 三明院昌元が京都聖護院より法院の免許状を授かる(社家貯蔵)(7/26) | ||||||||
1713 | 正徳3 | 伊達藩修験良性院僧都 三明院昌元が京都聖護院より金襴地結袈裟の免許状を授かる(社家貯蔵) (7/2) | ||||||||
1722 | 享保7 | 石塔 梵字を三明院正圓建立する | ||||||||
1740 | 文元5 | 石塔 梵字を三明院正圓が大衡村五反田に建立する | ||||||||
1745 | 延享2 | 石塔 梵字を三明院正圓が大衡村竹之内に建立する | ||||||||
1754 | 宝暦4 | 京都聖護院より桃地結袈裟の免許状を三明院有観が授かる (社家貯蔵)(7/25) | ||||||||
1766 | 明和3 | 京都聖護院より四十九村頭襟頭の免許状を三明院祐観が授かる(社家貯蔵) (6月) | ||||||||
1774 |
安永3 |
石塔 庚申供養を三明院祐観が大衡村鍛冶屋敷に建立する(3/7) |
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1779 | 安永8 | 安政の餓死等飢饉が続く時期に「八幡宮の扁額」が奉納される | ||||||||
1780 | 安永9 | 三明院秀坊 安永の餓死供養・麻疹流祈祷で本宗京都聖護院へ行く(これにより法院の跡継ぎが成長するまで八幡宮別当が不在となる)
同時期に法院が昌源寺にも念仏供養塔を建立する |
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1783 | 天明3 | 天明の飢饉発生 | ||||||||
1793
1805 |
寛政5
文化2 |
寛政の大地震 | 三明院元歓の子、三明院元諄誕生する (明治より櫻木元諄と名乗る) |
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1818 | 文政1 | 京都聖護院良性院僧都 三明院正善が大衡八幡宮を改築し御神体を復旧し</span%>再興する | ||||||||
1822 | 文政5 | 前年の吉岡村大火事祈祷のため「庚申供養塔」を法主三明院が建立する (8/19) | ||||||||
1823 | 文政6 | 塩浪八幡宮を遷宮する(村肝入 栄之助 組頭 太右衛門 ・工師 吉岡中町 善吉) | ||||||||
1828 | 文政11 | 三明導師等が麻疹流行を鎮める為、石碑「象頭山(ぞうずさん)」を建立する | ||||||||
1849 | 嘉永2 | 三明院導師が石碑「湯殿山」を建立する (4/8) |
像頭山石碑 左側 |
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1858 | 安政5 | 別当三明院元諄が白崎神社・稲荷神社を建立する (11月本地供す) | ||||||||
1860 | 万延1 | 石碑「庚申供養塔」導師三明院が建立する | ||||||||
1864 | 元治1 | 別当三明院元諄が熊野神社(7/26)
笠上神社(6/26) を建立する (本地供す) |
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1864 | 元治1 | 導師三明院元諄が石碑「甲子」を建立する(11/27) | ||||||||
1869 | 明治2 | 三明院別当櫻木元詠が明治政府に神官への復職願をする | ||||||||
1870 | 明治3 | 神仏分離令により修験僧を終える
昌源寺住職を三明院から弟子に移管する( 現在の住職高橋家) 高橋の姓は三明院の妻の実家の姓を名乗る |
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1872 | 明治5 | 修験道廃止 | ||||||||
1873 | 明治6 | 大衡村の村社に大衡八幡神社・大瓜村の村社に貴船神社が列せられる (3月) | ||||||||
1883
1884 |
明治16
明治17 |
大衡村四村と合併 駒場村 大森村 奥田村 大瓜村 |
神官附属世話人櫻木肥内他有志が石段造成をする(4/15) 戸長 工藤利四郎・ 工受負世話人 瀬戸甚右衛門・工人 永野父治郎 |
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1885 | 明治18 | 国道四号線道路改修に神社所有地(蕨崎地区)を提供する | ||||||||
明治22 | 旧五村 合併
大衡村 大瓜村 駒場村 大森村 奥田村 |
大衡の商業 2件(櫻木家含む)
社家が松本屋敷から中名屋敷に移転し生計の為櫻木米穀店を開業する |
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1893 | 明治26 | 大衡村役場を中屋敷96地内に移設する | ||||||||
1894 | 明治27 | 神官附属世話人櫻木肥内他有志が石碑「蓬莱山」を建立する | ||||||||
1903 | 明治36 | 大衡村誌(布施千造著)に八幡神社歴が記述される。(一部記載誤り有) |
★堰神 笹神社 (大衡下区松本に鎮座)
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1908 | 明治41 | 村の7社を大衡八幡神社に合祀する(12/21日)
下大瓜6社を大瓜八幡神社に合祀する (4/25日) |
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1909 | 明治42 | 金谷神明社・二渡神社を合祀する(5/15日) | ||||||||
1910 | 明治43 | 社家の長男櫻木誠が神職祭式修了證を授与する | ||||||||
1914 | 大正3 | ドイツ国宣戦布告祭斎行する(8/23)
大衡小学校新庁舎落成を斎行する |
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1915 | 大正4 | 大瓜八幡神社の社掌に櫻木誠が任じられる (2/19日)
大衡八幡神社の社掌に櫻木誠が任じられる (5/12日) |
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1917 | 大正6 | 石造鳥居を奉納する | ||||||||
1923 | 大正12 | 大衡八幡神社・大瓜八幡神社が神饌幣帛供進神社に指定される | ||||||||
1926 | 大正15 | 八幡50番地の社務所に社家が移住
社家が中名屋敷から移住する為 留守役の佐藤恭市氏の家族を漆田入口の櫻木の土地に移住する。中名屋敷の土地は櫻木米穀店の弟子に移譲する 櫻木家の所有地(八幡50番地)を大瓜・石川とく様が購入し、その後石川とく様が神社に奉納す(7/3) 大正天皇の御平癒祈願式を斎行する(11/17・18) |
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1928 | 昭和3 | 社掌 櫻木誠が大禮記念章を授与する | ||||||||
1936 | 昭和11 | 国道4号線改良工事始まる | 社有地を国に提供する | |||||||
1936 | 昭和11 | 社家の長男、櫻木誠三郎 国弊中社志波彦神社鹽竈神社の実務練習生となり神職資格を取得する(4月1日) | ||||||||
1939 | 昭和14 | 神職櫻木誠三郎 徳島県国幣中社に出仕し奉職する(5月1日) | ||||||||
1940 | 昭和15 | 神職櫻木誠三郎 宮城県塩竈市に出仕し奉職する(1月10日) | ||||||||
1940 | 昭和15 | 神社庁より感謝状を授与する | ||||||||
1939 | 昭和17 | 神職 櫻木誠三郎北海道に出仕し奉職する。(8月5日) | ||||||||
1946 | 昭和21 | 神社本庁に宗教法人八幡神社代表櫻木誠の名を届出する | ||||||||
1948 | 昭和23 | 神社本庁から神職櫻木誠三郎氏が権禰宜に任ぜられる(12/30) | ||||||||
1949
1950
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昭和24
昭和25 |
仙台・中新田線開通 バス停桜木 |
日本国より宗教法人八幡神社の認証授かる
宮司 櫻木満 誕生
桜木米穀店の前にバス停設地される(バス停名称 桜木) |
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1955 | 昭和30 | 大衡村平林に昭和天皇をお迎えし第6回全国植樹祭
(4/6)が開催される |
櫻木誠宮司が植樹祭祝詞を奏上する | |||||||
1956
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昭和31
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櫻木誠三郎氏が宮司代務者に就任
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1956
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昭和31
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櫻木誠三郎氏が宮司代務者に就任
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1967 | 昭和42 | 大衡村より土地払い下げされる
(原野126.32㌶) |
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1972 |
昭和47 |
大衡小学校 統合 | 櫻木満 ジャスコ(株)に入社する
神社本庁正階検定に 櫻木満合格する |
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1983
1985
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昭和58
昭和60 |
「すばらしい大衡を創る会南部コミュニティ」の子供会を結成し子供神輿渡御を斎行する
代表者 遠藤幸一責任役員 ◆大衡村村誌発行(七月)
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四女久美7・29日16時2分 新松戸で出生 50 3440g |
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1987 | 昭和62 | 神社本庁より大衡・大瓜八幡神社の宮司に櫻木誠三郎氏が任ぜられる | ||||||||
1988
1995 |
昭和63
平成7 |
阪神大震災 1月17日 |
神社本庁より大衡八幡神社の禰宜に櫻木満が任ぜられる
震災時、櫻木満水戸市立双葉台に住む |
櫻木満ジャスコ㈱北関東事業部に勤務 |
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1996 | 平成8 | 神社の総合計画が役員会で承認され、禰宜櫻木満が宮司代行に任じられる | ||||||||
1998 | 平成10 | 松川土木株式会社が幟り旗(一対)を奉納する | ||||||||
2000 | 平成12 | 役員会で歳旦祭の行事として願い打上花火奉納することを決定する(1/1日) | ||||||||
2000 | 平成12 | 禰宜 櫻木満宅(1階を社務所として使用)と駐車場拡張事業が落成する (12/23日) | ||||||||
2000 | 平成12 | 氏子5名(細川宗三郎・遠藤幸一・渡邊やす子・川名貞夫・富永 )が秋季例大祭日に石造旗立てを奉納する(9/14日) | 委嘱状責任役員細川宗三郎 平成14年 委嘱状責任役員細川宗三郎 平成14年 | |||||||
2001 | 平成13 | 秋季例大祭に敬宮愛子内親王殿下誕生記念の石造狛犬(一対)を奉納する(櫻木誠三郎宮司・瀬戸病院院長) | ||||||||
2002 | 平成14 | 櫻木誠三郎宮司 帰幽する(12月7日) | ||||||||
2002 | 平成14 | 秋季例大祭に禰宜櫻木満がお守り頒布所を奉納する | ||||||||
2004 | 平成16 | 専門学校 久美卒業 | ||||||||
2005
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平成17 | 本殿・拝殿の屋根修理事業の落成する | ||||||||
2006 | 平成18 | 神社ホームページを開設する 神社本庁より櫻木満禰宜が宮司代務者に任ぜられる |
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2007 | 平成19 | 渡邉要治総代より防風ネットの奉納ある(12/28日) | ||||||||
2008 | 平成20 | 第12回 神宮式年遷宮奉賛活動を開始する | ||||||||
2008 | 平成20 | 鶉橋春治総代より湧水所の池の造成奉納ある | ||||||||
2009 | 平成21 | 宮司櫻木満より親子亀石造の奉納ある (9/14) | ||||||||
2010 | 平成22 | 社名入り案内看板(二基)の奉納ある (4/14)奉納者 総代鶉橋春治 代表役員 櫻木満 | ||||||||
2011 | 平成23 | 東日本大震災(3/11) | 石造鳥居がゆがむ | |||||||
2011 | 平成23 | 3/26日より宮司・職員・有志で東日本大震災復興ボランティア活動開始。通算28回。(南三陸・石巻・気仙沼・東松島・多賀城・若林区・亘理・名取) | ||||||||
2011 | 平成23 | 秋季例大祭と東日本大震災復興祈願祭を斎行する(9/15) | ||||||||
2012 | 平成24 | 東日本大震災復興事業 石鳥居修理事業の落成する
鶉橋春治・伊藤勝衛・櫻木満が橋の拡張工事する (12月31日) |
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2013 | 平 成25 | 神宮大麻暦頒布向上の神徳宣揚で宮司櫻木満 神宮大宮司表彰を授与する (9月6日)
衡上地区氏子 亀谷汎美氏より奉納された池造成用石(四トン)で湧水処に鯉飼育用池落成をする 【造作者】鶉橋春治総代 櫻木満宮司 【石設置者】 責任役員5名(渡邉要治、織田久栄、堀籠敦、須藤栄一、早坂豊弘各位) 【鯉・金魚及び飼育設備奉納者】総代 本間宗夫(金20万円也) |
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2014 | 平成26 | 兼松日産農林株式会社より奉納の丸太材木(直径20cm長さ6m 48本)を利用し女坂道を整える
秋季例大祭期間につつじ・紫陽花の記念植樹する (特別奉納 総代本間宗夫氏より紫陽花・ユリ科球根80株) |
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2015 | 平成27 | 女坂道に花壇の造成をする
奉納者 鶉橋春治責任役員 櫻木満宮司 |
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2016 | 平成28 | 秋季例大祭で幟旗奉納する 大衡運送㈱社長 千葉一生殿 ㈲大和電工代表取締役 赤間 森殿 ㈱松川土木代表取締役 松川利守殿 神社役員総代一同 |
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2017 | 平成29 | 東門の鳥居奉納(二名)
宮司櫻木満 責任役員 鶉橋春治殿 |
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2018 | 平成30 | 伊勢神宮の大大麻と中大麻の頒布400体(県内神社の27%程)
毎月つきなみ祭1日15日斎行開始 女性霊媒師採用(霊視鑑定と除霊祈祷) |
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2019 |
平成31 令和1 |
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稲荷社鎮座
コロナ対策で元旦花火打上奉納中止 |
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2020 |
令和2 |
佐々木春樹殿(岩手県)より境内地の砂利敷奉納(30t)
コロナ対策で元旦花火打上奉納中止 |
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2021 |
令和3 |
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ユリ300本奉納。稲荷社周囲に植栽する(奉納者 黒澤悦子殿)
拝殿修理 コロナ対策で元旦花火打上奉納中止 |
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2022 | 令和4 | 境内整備に佐々木春樹氏貢献
夏越大祓に大衡小二年見学 池の増設 境内地参道整備 山地山林整備 拝殿修理 コロナ対策で元旦花火打上奉納中止 |
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2023 |
令和5
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2024 | 令和6 | 4月 廊下屋根塗装工事塗装 | ||||||||
2025
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令和7
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令和7
令和9 |