旧社格 村社    大衡八幡神社のご案内
♦HOME修験の里 大衡八幡神社をご紹介致します。
TOPIC  御神徳  神社の鎮座 八幡神社と三明院 修験の里八幡神社 村社八幡神社

  御祭神

     第十五代天皇 応 神 天 皇 (誉 田 別 尊)
                                       ほむたわけのみこと



応神天皇は、仲哀天皇を父に、神功皇后の
息長足姫(おきながたらしひめ)を母に第四子として、王神の子として降誕された。


天照皇大神
白山権現
妙見菩薩

御神徳

八幡神社は、八幡大菩薩とも称し、特に国家・家庭
の守護神、文化・開運の神・武道・勝負の神
厄神・仏の守護神の御神徳があられます。



八幡の神は、八幡神・八幡大神・八幡大明神・八幡大菩薩の略称であり、
古来から広く信仰されてきた神様であられます。第四十五代 聖武天皇
が奈良の東大寺大仏鋳造の鎮守として、また天応元年(781年)
「護国霊験威力神道大自在王大菩薩」の加号
を朝廷から授けられ、以後広く普及したといわれる

八幡は八正道の意味で、正見、正思惟、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定
の八法を云うとされ、
天台宗・真言宗の平安仏教と密接な関りがある神様でもあられる。
応神天皇の御牌所である曹洞宗神応寺の石碑が大阪の石清水八幡宮にあります


八幡神社の特長

1. 全国津々浦々に行きわたったネットワーク
2. やる気・性格を強化する霊徳
3. 勝負に負けない闘争心・競争心を培う霊徳
4. 仏の守護神・祖先の守護神としての霊徳


八幡宮の総本宮は、九州 大分県の宇佐神宮であられます。


祭 日

四月十五日  九月十五日

大衡八幡神社の鎮座



大衡八幡神社(別名 塩浪八幡神社)は、1573年(天正5年)
宮城県黒川郡下草(大和町)を治めていた大崎氏の所領で
ある塩浪館(越路館)の館主として移住した大衡治大輔氏が、
本丸内の鎮守として八幡大神を鎮座したと伝えられております。

1591年(天正18年)豊臣秀吉氏により、葛西・大崎一揆で、
藩主伊達政宗氏に落城され、現在の社地に遷座されました。


初代戸田定隆氏の定住


1585年(天正13年)仙台藩主伊達家の専属祈祷師に、京都聖護院本山流(天台宗)の良覚院修験の快真導師が着任した。
1631年(寛永8年)良覚院快真導師の嫡子である有真が、伊達藩主忠宗氏に見い出され、還俗(僧籍をはなれ俗界にかえること)を命じられ、戸田をとなえ、名を定隆と改め、家格着座・400石を与えられ、19歳で大衡村竹之内に屋敷をかまえ、近習いからスタートし、1649年(慶安2年)から1655年(承応5年)まで御小姓頭を勤める主君側近となり、神仏に多大なる貢献をされた人であったと大衡村誌に記録されている。


八幡神社と戸田長五郎勘太郎氏


戸田定隆氏は、1635年(寛永12年)初代戸田定隆(戸田長五郎定隆と改名し、1655年44歳で帰幽している)の位牌寺昌源寺に寺禄を奇進されておられます。
そして、1688年(貞享5年)大衡八幡宮に戸田長五郎勘太郎氏が、願主として供物・厨子・太鼓を奉納し、1697年(元禄10年)供科として祭田350文の寄進や三神体(天照皇大神・白山権現・妙見菩薩)を奉安し土地350文を奇進しておられ、旧大衡村の神仏信仰の基礎を築かれました。


八幡神社と三明院


戸田長五郎定隆氏と同じ時期に、社家の先祖にあたる良覚院弟徒の三光院(三明院)昌元が旧大衡村の初代導師(別当)を勤め、その後三明院正圓、三明院有観、三明院光秀坊、三明院元歓、三明院宥昌、三明院正善、三明院清英、三明院元諄と引き継がれた。八幡宮の導師三明院は、大衡村松本屋敷に明治の初期まで住んでいたことが、社家に残る免許状や社家の墓石、「大衡村人数帳」等で窺い知ることができます。

※昭和57年7月発行の大衡村村誌には、「大衡村出身の布施千造氏著書に1772年から1780年の間、 別当三明院秀坊の時に無住となり、御神体は地主横橋忠三郎が保管し、1818年(文政元年)良覚院弟徒三明院正善が再興し、御神体を復旧したのが現在の八幡社の別当が不在である。」と記載されているが、現在調査中であります。


修験の里 大衡八幡神社


現在の大衡村は、明治17年、四村(駒場村、大森村、大瓜村、大衡村)が合併してできた村であります。中世は修験が最も活躍した時代で、駒場村・大森村には羽黒派修験成性院三宝院が修験道の発展に勤め、大瓜村には出羽の羽黒山を中心とした羽黒修験宝中山喜楽院が勤め、大衡村には京都の聖護院(天台宗系)を中心とする本山派修験三明院が松本屋敷で勤めておりました。

近世幕藩体制社会の成立に伴い、幕府・藩の宗教政策により、修験は村に定着せざるを得なくなり、仙台藩領内には、享保年間(1716年ー1735年)におよそ1681人の修験者がいたといわれており、村に定着した修験は、修験院として道場を構え、不動明王を祀って祈祷や呪術を行い、神社の祭りを司り、講の導師を勤めるなど、村の人々の信仰生活の面に密接な関係を持ち、大きな影響を与えてきたと記録されております。

仙台藩の当山派修験は古川の古川寺の統制下にあり、本山派修験は仙台城下の良覚院の支配を受けておりました。宮城県では、修験者のことを法院(ほういん)と呼び、この呼称は明治の神仏分離以後も神官に対して用いられております。


村社 大衡八幡神社


明治2年12月、日本の外事局に本山流修験 三明院元詠(社家の櫻木元詠)名で「八幡神社に復飾願」を提出し、神官になることが許可され、仏の道から神への道へ転身している記録があります。(社家に保管)
明治4年、廃藩置県が行われ、仙台藩から仙台県に変わり、翌5年に仙台県から宮城県に改称し、その年に修験道廃止令で、当時の修験者達が、国から住職になるか、神職にあるか、廃業にするかの選択が求めらました。

明治6年3月、大衡の八幡神社と大瓜の貴船神社が村社に列せられ、明治11年大衡村と大瓜村の連合村が発足し、さらに明治17年に四村(駒場村、大森村、大瓜村、大衡村)の連合村が成立し、この期より、連合村の村社に列せらました。

また、明治41年12月21日に、旧大衡村の八社が合祀され、現在にいたっております。

神 明 社天照大御神大衡字金谷  鎮座祭日 陰暦9月26日
稲 荷 社宇賀之御魂命大衡字大樋  鎮座祭日 陰暦9月 9日
二 渡 社少彦名神・二渡神大衡字漆田  鎮座祭日 陰暦9月 9日
笠 神 社宇賀之御魂命大衡字松本  鎮座祭日 陰暦9月 9日
鹿島神社武 槌命大衡字亀岡  鎮座祭日 陰暦9月15日
白 崎 社宇賀之御魂命大衡字持足  鎮座祭日 陰暦9月26日
熊 野 社熊野五須美命大衡字海老沢 鎮座祭日 陰暦9月 9日
神 明 社天照大御神大衡字野畑  鎮座祭日 陰暦9月15日





ページトップ